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2005年福岡西方沖地震・3月20日の記録

地震でヒビが入った階段 福岡西方沖地震
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2005年3月20日10時53分、福岡県西方沖の玄界灘を震源とする マグニチュード7の地震が発生。
最大震度は6弱。震源に近い玄海島の甚大な被害、埋め立てられた海岸沿いの液状化、日曜日の福岡の繁華街ではビルの窓ガラスが割れ買い物客が避難など、福岡では経験したことのなかった大地震でした。
前年に新潟県中越地震が起こっていたこともあり、地震・災害への備えを改めて考えるきっかけともなりました。

地震発生から10年が経とうとし、阪神大震災からももうすぐ20年。
また何と言っても東日本大震災がまだ記憶に新しい中、私の当時の記録を再編集して残しておくことにしました。
その時の思いも伝わればと思います。

※2014年12月13日 再編集しました。
※2017年3月20日 なんと地震発生時刻の書き間違いを発見。訂正しました。お恥ずかしい。

3月20日ドキュメント

家に戻って、片付けやメール返信も落ち着いたので、
地震発生時のドキュメント(のようなもの)。
3/20 10:50
山口市内。
遠くから汽笛が聞こえたので道路脇に車を止め、汽笛の方向に見えた黒鉛をパシャリ。
ブロガーらしく、その場で送ろうとメールを打つ。
10:53
クルマがぐらぐらと揺れる。
観覧車を揺らしたことがある人ならわかる揺れ方。
下から突き上げられつつ、左右に揺れる感じ。結構激しい。
とうとう、このクルマも寿命が来たか、どうやって家まで帰ろうかということが頭をよぎる(汗)。
火を噴いたり、爆発したりするとまずいので、とりあえずクルマを降り、クルマの近くでメールを打ちながら様子を見る。
10:55
なかなかメールが送れない。
近くのマンションの住人が外へ出てきた。
ここで、さっきのは地震だったのかと気づく。

揺れた。

2005年3月20日 @ 11:06

たまたまクルマに乗ってました。クルマががたがたしました。ちとびっくりしました。
福岡、震度6って!?

11:00
遠くから広報車の声も聞こえてくる。
クルマに戻り、ラジオをつける。
福岡沿岸に津波注意報発令と言ってるじゃないか。
しかも、マグニチュード7.0と言ってるじゃないか!
福岡市は震度6弱と言ってるじゃないかっ!!!
大丈夫か。
11:10
友人の家に駆け込み、テレビで状況確認。
火災・大きな崩落などは見当たらない。
ただ、埠頭の岸壁などが浸水しているのはわかった。
とりあえず、情報が一通り出揃うまで落ち着く。
福ビルの窓ガラスが落下する様はマヂでビビった。
12:00
高速道路が通行止めなので、
慌てて帰ったところで時間がかかることに気づく。
当初、別の友人と会う約束をしていたのは、予定通り会うことに。
合流後、昼飯を一緒に食べて別れる。
15:00
当初の予定通り、実家のある下関へ戻ることに。
16:00
地震のことをしばし忘れ、温泉につかってひと段落。
18:30
買い物など寄り道して、実家へ。
徐々に惨状が明らかになる。
家は大丈夫だと思うが、やっぱり不安。
翌日、実家を出発し、夕方に福岡に戻りました。
はい、全然たいしたドキュメントじゃないですね。
それにしても、家に戻って書類や風呂場に置いてるシャンプーやマウスなどの小物が散乱しているのを見ると、やっぱり揺れは大きかったのかと実感しました。
仮に、その瞬間に家にいたらどうだったろうか。
びっくりするだけで、ただ揺れが収まるのを待つしかなかったかもしれません。
改めて、無事ということをお知らせしておきます。
メールやコメント等いただいたみなさん、ご心配をおかけしました。

地震発生の翌日、自宅に帰ってきたら…

2005年3月21日 @ 17:35

テレビが転がってました。(^-^;

揺れた跡

2005年3月21日 @ 17:35

冷蔵庫。
1.5センチぐらいズレてるでしょうか。
中のモノもひっくり返ってました。

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地震の爪あと

2005年3月21日 @ 17:36

アパートの部屋に上がる階段、つなぎ目がひび割れしてます。

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地震発生から2日後の街の一部

2005年3月22日 @ 7:54

通勤途中
歩道が盛り上がってます。
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手前は隙間が開いてます。
奥はレンガが崩れてます。
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後片付けしたゴミを燃えるゴミの袋に入れてます。
ゴミ袋の数はそれほど多くありませんでした。
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翌日の帰宅時
これでもかって勢いの地震ごみです。
警固・今泉あたりでは多く見る光景です。
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ちょうど1ヶ月後に大きな余震が

2005年4月20日 @ 23:47

以前のエントリーのとおり、福岡県西方沖で朝6時11分に最大震度5強、M5.8の地震が起きました。
それから一時間以内は震度2~4の余震の繰り返し。
揺れに慣れたとはいえ、間髪入れずに余震が来るのは困ったものだ。
今日思い知ったのは、都市部で余震が頻繁に起こった時の交通機関の脆さ。
都市高速、鉄道は毎年近づく台風の時も止まるので多少は慣れている気なのですが、地震では市営地下鉄も止まってしまうので、市中心部への残された移動手段は路線バスと一般道だけなのですよね。
今日は通勤時間帯に不通となったため、一般道に車があふれかえりました。天神方面は西区からずっと渋滞だったようで、ざっと12km以上は車がつながっていたということですね。かくいう私もその渋滞に巻き込まれた一人でした。
それにしても、路線バスは一部都市高速を通る路線がありますが、9時前に都市高速が開通したというのに、情報が直接バスにまでいかないのでしょうか。9時半を過ぎても迂回運転をしているバスを何台も見かけました。こういう時はラジオでもつけてくれると、乗客の方も自己判断がしやすいのにね。
また、一旦運転再開した地下鉄も、9時過ぎに余震があって再びストップ。
一時間以上バスに閉じ込められてる間に地下鉄が運行再開したのを知って途中で降り、歩いて姪浜駅に着いた直後の出来事でがっくり。
徐行運転でしばらく対応していたものの、電車の運転間隔がラッシュ時と同じ状況なのでここでも駅ごとに電車が止まって余計に時間がかかる始末。交通局(地下鉄)の職員さんはJRに比べてこういうトラブルに慣れてないみたいで、乗客の誘導などにやや四苦八苦してたように見えました。
いやはや、そんなこんなで今日はいつもより3倍の時間をかけて出勤。
なんだか地震にぐらぐらさせられたのは私の心かも(汗)。
朝昼晩、いつ起こってもやっぱり地震はいやだ。(^-^;

一年が経って

2006年3月20日 @ 23:08

福岡西方沖地震が起こったのは、ちょうど一年前の3月20日。
気には留めつつも、地震への思いを振り返る時間はなし。
忘れ去るのはホントに早いものだ。自分が住む街で起こったことなのに。
市街地の傾いた建物は取り壊され、うねった歩道は補修され、復興が目に見えてわかる場所には活気が戻ってきた。
しかし、玄界島や西区の西浦地区のように地震の爪痕が強く残っているところもある。
ヤフド周辺の歩道にも凸凹が目立つところがある。
地震への心配がなかったといわれる福岡。
傷痕や記憶、恐怖感を消し去って元に戻すのではなく、忘れないようにして元に戻す。
忘れてはいけないことを忘れないようにする。
これから毎年、胸に刻んでおかなければいけない。
ほんの少し、振り返るだけだと思っていても、書き留めておこう。

もうすぐ10年を前に

2014年12月

地震はいつどこで起こるかわからないもの。
自分と周りの人たちを守れるような備えと心構え。それと癒えることのない心の傷に差し伸べる手。
一人ひとり、できることで助け合いながら共に歩んでいきましょう。

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